.庄内釣人倶楽部 - 山形県庄内地方(酒田・鶴岡)の釣り情報と釣り場地図 シーバスやヒラメなど、ルアーフィッシングのポイント紹介
 
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最終戦争論 - 石原莞爾著/中公文庫BIBLIO 20世紀
戦争史大観 - 石原莞爾著/中公文庫BIBLIO
人類後史への出発 - 石原莞爾戦後著作集
写真集 永久平和の使徒 - 武田邦太郎・菅原一彪
地ひらく 石原莞爾と昭和の夢 - 福田和也/文春文庫
英雄の魂 - 阿部牧郎
NHK その時歴史が動いた - 「満州事変 関東軍独走す」
石原莞爾と満州事変 - 太平洋戦争研究会
石原莞爾 満州備忘ノート - 早瀬利之
石原莞爾 - 青江舜二郎
石原莞爾の予言 - 佐治芳彦
石原莞爾の時代 -時代精神の体現者たち - 田中秀雄
イーハトーブと満洲国 宮沢賢治と石原莞爾が描いた理想郷 - 宮下隆二
満州合衆国 - 早瀬利之
満州国と康徳帝 愛新覚羅溥儀
論語 - 年四十にして未だ学ぶなきは、其れ終わらんのみ
孟子 - 王道と覇道 放伐と易姓革命
荀子 - 仁人の兵は詐(いつわ)るべからず
老子 - 知足 足るを知る者は富む
孫子 - 兵とは詭道なり
史記 - 天道、是か非か
諸子百家争鳴
映画『おくりびと』
 
 庄内第一の偉人 石原莞爾将軍 生誕120年・没後60年記念 2/2
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 ■石原莞爾将軍墓所案内 作成の趣旨
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 ■庄内第一の偉人
 鶴岡に生まれ、遊佐で没した「石原莞爾(いしわら・かんじ)」という人物を貴方は知っているだろうか。
 郷土第一に挙げられる先覚だが、私たちの世代(昭和51生)の多くは、満州事変の首謀者とか、
 十五年戦争の先駆け、東条英機と対立した陸軍の異端児として名を聞いたという程度の知識で、
 戦前から民族の協和を目指し、世界の永久平和を説いた思想家でもあったことなどまず知らない。
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 私は石原将軍が遊佐町で晩年を過ごされたことすら知らなかった。生来同町民であったというのにだ。
 もっといえば私は高瀬小学校と菅里中学校(すがさと・平成5年に統合閉校)に通ったのだから、
 将軍が暮らした「高瀬村菅里西山開拓地」にいかに近いか、県外の方にでもお分かりになるだろう。
 それなのに将軍の事跡をまったくと言ってよいほど知らなかったのである。
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 もちろん戦争前後史について自分が無知であることが一番の原因なのだが、それにしても不思議だった。
 一体何故なのかと考えてみると、驚くことに郷土の先人として将軍の名を挙げた教師がひとりとして
 思い出せないのだ。 十五年戦争については相当な時間をかけ学ぶのだし、「西浜に墓があるよ」くらいの
 ことを謂う先生がひとりもいなかったというのは一寸理解しがたい。意図的に教えられなかったのだろうか。
 (もっとも、庄内出身の先覚である清河八郎、大川周明、佐藤幸徳についても習った記憶がないが)
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 また我が遊佐町自体、石原将軍の墓所を全国に誇る「町の宝」として評価しているのか甚だ疑問である。
 検索すれば分かるように、墓参しようと訪れた方々も「教育が悪い」と看破し、憤慨しておられる。 →例
 墓所そのものにではなく(こちらには皆な感動されている)、町と町民の姿勢や無知についてだ。
 パンフレットには悉く記載なく、役場に電話しても場所を知らない、観光協会でもまともに分からない等々
 観光客の時間を無駄にするとんでもない大失態で、責任者出て来い!と怒鳴りたくなるような話だ。
 (ただし、町の自然・景勝案内のパンフレットなどは実に素晴らしいもので自慢できる)
 ※水色のパンフレット「遊佐町観光ガイド&マップ」の吹浦エリア地図に記載されるようになりました!

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 庄内には生地である鶴岡市の郷土資料館や酒田市の光丘文庫など、将軍の貴重な資料を展示する
 施設も多いのだから、来客には先にそれらを見学(観光)してもらい、最後に我が町で墓参していただく。
 遊佐町は墓所への案内を記載するだけ、言葉は悪いが、もっとも安上がりに済む誘致であると思うのだが。
 昨今の庄内ブームに便乗して庄内一円、境界なき観光案内を掲げ、利を得るのは我が町が第一だろう。
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 今年(2009年)は石原莞爾生誕120年、没後60年の節目の年にあたり、全国から多くの参拝者が訪ねて
 来られるであろうというのに、今からでは(ご命日である8月15日に)間に合わないのが悔しい。
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 ■本頁作成のきっかけ
 私がはじめて将軍の墓所をお参りしたとき、たまたま鈴木さんとおっしゃるご婦人に出会った。
 ナント、将軍や武田邦太郎先生と共に開拓地に入植され、お仕えしたという方で、夢中でお話を伺った。
 見事に手入れされた墓所は、てっきり町が管理しているものだと考えていたのだが、同志の方たちだけで
 維持管理されていると知って驚いた。(土地、墓碑、記念碑、資料、備品、献花に至るまで有志による!)
 今日は道の駅で買われたのだという花を墓前に献じ、ゆっくりと御題目を唱えられた姿に胸が熱くなった。
 すでに将軍没後60年、とても出来ることではない。参拝者には先ずこの事実を知っていただきたい。
 ただこの一点だけでも将軍がどのようなお人柄であったか伺い知れるというものだ。
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 昭和24年8月15日から60年、いまや当時の将軍を知る同志の方は、数名しかおられない。
 私は幸いにも鈴木和子さん、そして武田邦太郎先生にお会いして貴重なお話を伺うことができた。
 将軍のお弟子ともいうべき方で、その最期を看取られた元参議院議員・武田先生は、大正元年の生まれ
 現在97歳!であるが、御壮健そのもので、若輩の無遠慮な訪問に何度も快く応対いただいた。
 今回、関係各位から様々なお話を伺い、是非将軍の言行録に加えたいエピソードも多くあるのだが、
 60回目のご命日が間近であり、将軍を慕い墓所を参ろうとされる方々の役に立てるべく、
 まずは急ぎ「石原莞爾将軍墓所」の案内と紹介のページを作成し公開した。
 期せずして本頁をご覧になった方も、石原莞爾という稀代の俊英に興味を抱かれれば幸いである。
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 日々将軍墓所の管理に努めていらっしゃる有志の皆様に同町民として深く感謝いたします。
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 ■地ひらく - 石原莞爾と昭和の夢
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 『地ひらく - 石原莞爾と昭和の夢(上・下)』(福田和也/文春文庫) [関連書籍]
 「最大の戦犯」「不世出の戦略家」「神がかりの予言者」…。石原莞爾を巡る評価は
 今もなお揺れている。関東軍参謀として満州事変を指揮し、具体的未来像を示した
 陸軍史上最大の奇才が夢見た日本の姿とは?十五年戦争を活写した渾身の大作。

 石原莞爾に関する評伝は数多いが、本書は将軍の伝記としてよりも、むしろ昭和史として秀逸で、
 日本だけでなく、(将軍も研究した)欧州戦史も新たな視点で捉え直し、見事に描ききっている。
 将軍が主導した満州事変を発端に、日中戦争、太平洋戦争へと続く、いわゆる十五年戦争を
 (ただし、著者は塘沽協定から日中戦争まで四年間の和平を根拠にして、この呼称を否定している)
 日本が突き進んでいくプロセスを知るのに、これほど中立・簡潔で優れた作品はなかったといえる。
 また庄内人の気風が描かれた郷土史でもあり、とりわけて若い世代には是非読んで欲しい一冊。
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 ■上巻
 [T部]
 01 鳥海山の麓
 02 庄内藩の血脈
 03 巡査の息子
 04 仙台陸軍幼年学校
 05 日露戦争と帝国陸軍
 06 乃木希典と明治の終わり
 07 法華の時代
 08 韓国守備
 09 革命の中国
 10 大正のエリート
 11 第一次世界大戦
 12 ヴェルサイユ講和条約
 13 田中智学
 14 漢口の出会い
 15 欧州への第一歩
 16 敗戦のドイツ
 17 フリードリヒ大王と持久戦争
 18 関東大震災
 19 平和への闘い

 [U部]
 20 昭和の夜明け
 21 恐慌と東方会議
 22 張作霖爆殺
 23 ロシア人の満州
 24 満蒙問題解決と大恐慌
 25 事変前夜
 26 柳条湖爆破
 27 奉天制圧
 28 建国への道
 29 錦州爆撃
 30 溥儀天津脱出
 31 満州国建国
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 ■下巻
 [V部]
 32 国際連盟脱退
 33 第四連隊連隊長
 34 政党政治の瓦解
 35 永田鉄山刺殺
 36 二・二六事件
 37 「下士官兵ニ告グ」
 38 「石原内閣」の帰趨
 39 蒋介石と国民党
 40 西安事件
 41 廬溝橋事件
 42 不拡大方針
 43 不決断の宰相
 44 租界激震
 45 満州国再訪
 46 南京攻略
 47 南京事件
 48 国民政府を対手とせず
 49 ヒトラーとチェンバレン
 50 第二次世界大戦
 51 舞鶴要塞司令官
 52 ノモンハン
 53 電撃戦
 54 近衛新体制運動
 55 予備役編入

 [W部]
 56 国防学研究所
 57 日米交渉
 58 ハル・ノート
 59 東亜連盟
 60 和平工作
 61 敗戦
 62 占領と憲法改定
 63 東京裁判
 64 西山農場
 65 預言者

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 ■チンプン漢文・トンチン漢籍
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 以下は分かる人にしか分からない話。 というより、ただの妄言・放言です。悪しからず。
 リンク先「諸子百家争鳴」は、中国古典の名言名句が満載の役立つHPです。(嘘です、私が運営しています;)

 ■簡素生活と菜根譚題詞
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 将軍の唱えた再建の三原則「都市解体」「農工一体」「簡素生活」を知り、なかでも「簡素生活」、
 これは墨子(節用)、老子(知足)、顔回・原憲(貧楽)、墨・道・儒のミックスで、かつ私の理想
 とする生き方である、于孔兼が洪自誠の著書『菜根譚』に贈った題辞に通じるものだと直感した。
 ここで紹介する于孔兼の隠棲は、まさに西山での将軍の生活そのものを描いているように思える。
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  ■菜根譚題詞 - 三峰主人 于孔兼
  逐客孤踪(ちくかくこそう)し、蓬舎に屏居(へいきょ)して、方以内の人と遊ぶを楽しみ、
  方以外の人と遊ぶを楽しまざるなり。
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  妄(みだ)りに千古の聖賢と、五経の同異の間に置辯(ちべん)するも、
  妄りに二三の小子と、雲山変幻の麓に浪跡せざるなり。
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  日に漁父、田夫と、五湖の浜(ひん)、緑野(りょくや)の[土幼](おう)に朗吟唱和して、
  日に刀錐(とうすい)を競い升斗を栄とする者と、冷熱の場、腥羶(せいせん)の窟に
  交臂(こうひ)抒情(じょじょう)せざるなり。
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  間(まま)、濂洛(れんらく)の説を習う者有らば、之を牧(やしな)い、
  竺乾(じくけん)の業を習う者は、之を闢(ひら)き、譚天雕竜(たんてんちょうりゅう・談天雕竜)の
  辯を為す者は、之を遠ざく。
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  此れ以て予が山中の伎倆(ぎりょう)を畢(お)うるに足れり。
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  ■菜根譚題詞 現代語訳(中村璋八・石川力山/講談社学術文庫)
  私の生き方は、来客を断りひとりでいき、粗末な家に閉じこもり、儒教を奉ずる人々と遊ぶのを楽しみ、
  儒教以外の人々と遊ぶのは楽しまない。
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  すぐれた聖人や賢人たちと、むやみに儒教の五経についてその異同を論議することはあるが、
  みだりに身近にいる門人達と、変化する雲や山の景色の中を、あてもなく歩きまわるようなことはしない。
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  日々素朴な漁師や農夫達と、五胡の水辺や緑野の窪地で朗吟し唱和したりするが、
  日々わずかな利益を争い、わずかな俸給を名誉とするような人達とは、
  冷熱のすさまじい役人の世界や、互いに奪い合うなまぐさい俗世間で、仲良く付き合おうとはしない。
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  時折、宋の儒者達の道学を習おうとする者があれば、これを育て養い、仏教の教えを習う者には、
  その間違いを指摘して導いてやり、大言壮語する嘘つき連中はこれを遠ざける。
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  このような生活態度は、私の山林における生き方を全うするのに十分である。
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 恐ろしいくらいに符号してやしないか。「儒教」を「日蓮教」に置きかえればまんまではなかろうか。
 先に述べたとおり、明の進士であった于孔兼の超俗的な暮らしは、私の理想とする生き方なのである。
 然るに疾うの昔に将軍と同志の方々が実践されてしまっているではないか!
 (しかも近代史に残る偉功を立てられた将軍のそれは、あまりに説得力が違いすぎる…)
 まったく一遍にやられてしまった。 あぁ、もはや黙って将軍を敬仰するしかないでしょう。
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 ※ただし、西山で闘病生活をおくられた将軍は、「せめて生きている間、僕に出来ることは、
  訪ねて来た人に会ふことだ」と仰り、来客を断ることはなかったという。 器が違いすぎますね。
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 ■伯夷・叔斉と西山
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 「西山」と聞けば、伯夷・叔斉兄弟と首陽山が真っ先に思い浮かぶ。そんな貴方が史記。
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 ■采薇歌
  登彼西山兮 采其薇矣
  以暴易暴兮 不知其非矣
  神農虞夏 忽焉沒兮 吾適安歸矣
  吁嗟徂兮 命之衰矣
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 ■采薇(さいび)の歌
  彼の西山(首陽山)に登りて、其の薇(び・ゼンマイ)を采る。
  暴を以て暴に易(か)へ、其の非を知らず。
  神農・虞・夏、忽焉(こつえん)として沒し、
  吾適(まさ)に安(いづ)くにか帰らんとす。
  吁嗟(ああ)徂(ゆ)かん、命(めい)の衰へたるかな。
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  - 「伯夷の風を聞く者は、頑夫も廉に、懦夫(だふ)も志を立つるあり」(『孟子』万章下) -

 ・伯夷(はくい) - 殷末・周初 孤竹国の公子 父の遺志に従い、弟・叔斉に家督を譲って出奔。
  追ってきた弟叔斉と周の武王を諫め、後、首陽山に逃れ餓死する。『史記』列伝の第一に位置する廉士。

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 ■孔子と周公旦
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 山形新聞社ホームページ上の連載企画に、山形国際ドキュメンタリー映画祭に関連した
 「山形と映画(4) 鶴岡市出身の石原莞爾 相半ばする人物評価」という記事がある。
 武田邦太郎先生が記者のインタビューに答えられておられるのだが、一読して思わず膝を打った。
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  「将軍はしょっちゅう夢に出てきて、生きている時と同じ調子で話されたものだったが、
  今は出てこなくなった。見放されたかな」(山形新聞 2007年9月26日掲載)
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 この武田先生のご嘆息に、私のなかにあった謀略の軍人・石原莞爾というイメージが一気に払拭された。
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   - 孔子曰わく、「甚だしいかな、吾が衰えたるや。 久し、吾れ復た夢に周公を見ず」(『論語』述而) -
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 そうか、将軍は周公旦だったのだ!
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 かの周公でさえ、無道の世にあっては甲(よろい)を着て戈(ほこ)を手に取り、一夫 紂を誅した。
 周の殷放伐(易姓革命)に重ねてみれば、将軍の行動は王者の輔臣として当然のものであった。
 とすると昭和帝は武王だし、満州国と康徳帝溥儀は、魯国と伯禽、いや、宋と微子啓か…
 問題は殷が何処かということだが、中国国民党?それとも最終戦争の仮想敵国アメリカ?
 などと想像するだけで、戦争を知らない私(昭和51生)にも、一方にあった大義が思われる。
 中共に憚った自虐史観を、中国古典が矯正してくれるとは皮肉なものだ。

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 しかし何と素晴らしい例えをされたのだろう、さすがは武田先生!
 私も先生にお会いして、貴重なお話を伺っているのだから、孟子に言葉を借りて喜びを表そう。
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   - 「予(われ)未だ孔子の〔門〕徒たるを得ざりしも、
    予 私(ひそ)かに諸(これ)を人に〔聞きて〕淑(よ・善)くするなり」(『孟子』離婁下) →私淑

 ・周公旦(しゅうこう・たん) - 姓は姫、諱は旦、周の文王の子で武王の弟 魯国(孔子の祖国)の始祖
  太公望らとともに武王を補佐して紂王を伐ち、殷を滅ぼす。周の礼節を定め、孔子が私淑した聖人。
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 ■王道と覇道(私見備忘録)
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 ■石原莞爾『最終戦争論』に関する質疑応答より
 「西洋文明は既に覇道に徹底して、みずから行き詰まりつつある。王道文明は東亜諸民族の
 自覚復興と西洋科学文明の摂取活用により、日本国体を中心として勃興しつつある。
 人類が心から現人神の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。
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 最終戦争即ち王道・覇道の決勝戦は結局、天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦であり、
 具体的には天皇が世界の天皇とならせられるか、西洋の大統領が世界の指導者となるかを
 決定するところの、人類歴史の中で空前絶後の大事件である」
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 ■王道と覇道の決勝戦?(亜細亜主義についてまったく無知な状態での素朴な疑問)
 ・王者と覇者では格が違いすぎる。ただし覇者も史上屈指の(諸侯国の)明君揃い。宋襄公は微妙
  故に(儒者でもない限り)覇道もやはり理想の一角であって、否定されるべきものではない。×尊王斥覇
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 ・王道=王者=三代三王 夏禹王、殷湯王、周文王・武王
 ・覇道=覇者=春秋五覇 斉桓公、晋文公、秦穆公、宋襄公、楚荘王、呉王闔閭、越王勾践ほか
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 ・王者の臣 - 后稷、皋陶、伊尹、周公旦、太公望
 ・覇者の臣 - 管仲、隰朋、百里奚、蹇叔、舅犯、趙衰、孫叔敖、伍子胥、范蠡、大夫種(『韓非子』説疑)
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 ・(冊封の始まる漢代まで)王は皇帝の下位・臣ではない。皇・帝・王はみな天子を指し実質的地位は同格。
 ・五覇にも公(公爵)と王がいるが、楚・越などは蛮夷であり僭称王である。(後の戦国七雄も僭称王)
 ・要するに天子の臣下たる諸侯の権力闘争が覇道。少なくも覇者は帝位・王朝の簒奪者ではない。
.....
 ・覇道成っても王者は依然として上に居る。 朝廷と幕府 天皇と将軍 昭和帝とトルーマン
 ・王徳が完全に失われ命が革(あらたま)るまで、百人の覇者が現れようとも王者の統は存在し続ける。
  しかし日本では易姓革命は(天皇が姓を持たない為)今後も起こりえない。何という神ロジック…
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  ■王者の討伐
 ・「箪食壺漿(たんしこしょう)して、以て王師を迎う」(『孟子』梁恵王下) →箪食壺漿
 ・「東面して征すれば西夷怨み、南面して征すれば北狄怨み、奚為(なんす)れぞ我を後にすると曰いて
  民の之を望むこと、大旱(たいかん)に雲霓(うんげい)を望むが若(ごと)くなり」(『孟子』梁恵王下)
 ・「仁人の兵は存(とど・止)まる所の者は神(おさ・治)まり、過ぐる所の者は化し、
  時雨の降るが若(ごと)くして、喜ばざること莫し」(『荀子』議兵)
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 ■儒教に於ける王道と覇道
 ・「偏なく党なく、王道蕩蕩たり。党なく偏なく、王道平平たり」(『書経』洪範)
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 ・「仲尼(孔子)の徒、桓(斉桓公)・文(晋文公)の事を道(い)う者無し」(『孟子』梁恵王上)
 ・「仲尼の門にては、五尺の豎子も言うに五伯(五覇)を称することを羞(は)じたり」(『荀子』仲尼)
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 ・「五覇は三王の罪人なり」(『孟子』告子下)
 ・「力を以て仁を仮る者は覇たり、徳を以て仁を行なう者は王たり」(『孟子』公孫丑上)
 ・「覇者の民は、驩虞如(かんぐじょ)たり。王者の民は、皐皐如(こうこうじょ)たり」(『孟子』尽心上)
 ・「王はこれが人〔心〕を奪(と)り、覇はこれが与〔国〕を奪る」(『荀子』王制)
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 ・「王道は砥の如し、人情に本づき礼義に出ず。大路を履んで行くが若く、復た回曲なし」(『近思録』治体)
 ・「覇者は曲径の中に崎嶇(きく)反側して、卒(つい)に与に堯舜の道に入る可からず」(『近思録』治体)
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 ■孫文の「大亜細亜主義」 (1924年12月28日 神戸講演より)
 「我々の主張する不平等排除の文化は、覇道に背叛する文化であり、又民衆の平等と解放とを求める
 文化であると言い得るのであります。貴方がた日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取入れると共に、
 他面、アジアの王道文化の本質(則ち皇室)をも持っておるのであります。
 今後、日本が、世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、
 それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります」
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 ■進と退
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 庄内出身の二将軍、石原莞爾中将と佐藤幸徳中将について
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 ・石原莞爾 - 1931年、関東軍参謀として満州事変を主導。中国東北の軍閥を破り、満州国を建国。
  この成功に影響され、以後、現地部隊による独断専行作戦が横行、所謂「下克上」の先駆けとされた。
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 ・佐藤幸徳 - 1944年、第31師団長としてインパール作戦に加わり、目的地コヒマの占領に成功する。
  しかし輜重の補給要請を無視され独断で撤退。陸軍はじめての抗命事件であり軍部に激震が走った。

 ・「令の進めざるに而(しか)も進むは、猶お令の退けざるに而も退くがごとく、
   其の罪は惟(こ)れ均しきなり」(『荀子』議兵)
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 ・「令に先きんずる者は殺され、令に後るる者も斬らる。
   則ち古えは先ず令の如くするを貴ぶなり」(『韓非子』飾邪)
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 今日に至るまで、二将軍に対する批判の多くはこれに因るものである。

  - 「可を見て進み、難きを知りて退く」(『呉子』料敵) -
  - 「進みて名を求めず、退きて罪を避けず」(『孫子』地形) -

 我が郷土が誇る二将軍は、斯様な誹りは百も承知で信念を貫いたのである。
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 ■養生喪死と「おくりびと」
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 庄内を舞台とし、アカデミー賞 外国語映画賞に輝いた映画『おくりびと』 ご覧になりましたでしょうか。
 雄大豪壮な鳥海山を背に本木雅弘氏がチェロを弾いた河川敷、遊佐町の「月光川河川公園」は
 拙宅からも近く、格好の読書スポットなのですが、このところロケ地観光で訪れる方が増えています。
 ここから望む鳥海山の迫力は、庄内随一といって良いでしょう。まったく素晴らしい眺めです。
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 ところで、この「死を送る人」というタイトルは、孟子の「養生喪死」の精神に通じるものですね。
 映画中では引用されませんでしたが、元となった小説『納棺夫日記』ではどうなのだろう。気になります。
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 ・「生を養うは、以て大事と当(な)すに足らず、惟(ただ)死を送る、以て大事と当すべし」(『孟子』離婁下)

 私の理想は荘子の天地棺槨ですが、あらためて生の畢(お)え方について考えるにはよい作品でした。

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